スギナミ ウェブ ミュージアム

企画展:阿佐ヶ谷住宅の記憶展

懐かしの写真館

大地丙太郎

阿佐ヶ谷住宅は、通っていた東田中学校が近くて生活エリアだったので、たまにちらっちらっと通っている感じでした。当時、善福寺川の方の25号棟近くに「東京ムービー」のビルがあって、テレビマンガ(当時はアニメなどという言葉はなかった)が大好きだったのでそこへはよく行きました。オバQ、パーマン、アタックNO.1の制作をやってた頃で、路地のドラム缶のごみ箱にセル画が捨ててあったりね。これはもうワクワクしましたね。そちらに夢中だったもので、その頃は住宅の方はまださほどの興味はなかったですね。

1999年に阿佐谷に戻って来て、懐かしいこの辺りをランニングしだしてから、うわーまだあるよ、懐かしいなーと思うようになった。その懐かしさで写真も相当撮りました。給水塔なんか必ず撮ってましたね。特に、杉並税務署のとこから入ったとこね、44号棟辺りはよく通ったな。そこが一番好きだったエリアですね。

阿佐ケ谷駅近くにあったジャズバーのママも阿佐ヶ谷住宅が大好きで、ついに住むことになった。1回遊びに行くねって言っているうちに取り壊されちゃって、とうとう見られずじまいでした。

テラスハウスって、今にしてみればほんとお洒落ですよね。珍しかったし、同潤会アパートなんかとも全然違う。赤い屋根に白いブロック塀、白いペンキが塗ってある感じと、住棟番号までもがいい。

おじゃる丸でも、占い師冷徹斎の家は、テラスハウスをモデルにしています。たぶん54号棟って幻の番号です。個人的に好きな番号は、どうやら写真を見ると42とか47が気に入ってたようですね。一番多い。

おじゃる丸 占い師冷徹斎の家の原画

取り壊しの噂を聞いてからもなかなか工事が始まるようすがなかったので、もしかしたら取り壊しの話はなくなったかも…なんて思ってたらあっという間に始まっちゃいましたね。始まったら早かったですねぇ、ランニングコースだったんですけど、ある日突然工事柵が出来てて、ああああああっとなりました。

1棟2棟くらい残してくれるんじゃないかっていう期待もあったんです。原宿の同潤会アパートも1棟だけ残ってますから、あんな風に残るかなーと思ってたら、ばっちりなくなってましたね…。

阿佐ヶ谷住宅を一言で言うなら? 「かわいい」ですね。
この団地の中をすぎ丸が走る光景もよかった。わざわざ中を縫って通るのがね。
空ごとよかったです。そこに給水塔がシンボルのように建っててね、ほんとに風景の味わいがすごく好きだった。

昭和でしたね~。

撮影は全て大地丙太郎氏によるものです

大地丙太郎 プロフィール

アニメ監督

1956年群馬県生まれ。 赤塚不二夫の『おそ松くん』に衝撃を受けてギャグを目指す。 中学時代に『素浪人花山大吉』『素浪人月影兵庫』主演の近衛十四郎の影響で役者を志す。 東京写真大学短期大学部(現・東京工芸大学芸術学部)卒。
アニメの撮影、カラオケビデオ制作、ゲーム会社などを経てアニメ演出へ。
主な監督作「ナースエンジェル りりかSOS」「トイレの花子さん」「おじゃる丸」「十兵衛ちゃんーラブリー眼帯の秘密ー」「ギャグマンガ日和」「とんかつDJアゲ太郎」など。