ご挨拶
建設当時斬新なセンスで建てられた阿佐ヶ谷住宅は惜しまれながら2013年に取り壊されました。 今でもその面影を追い続けたくなるほど、阿佐ヶ谷住宅は魅力的な建物郡と豊かな緑がマッチした開放的な雰囲気のある独特な空間だったのです。
本展では、阿佐ヶ谷住宅の存在、そこにあった生活、廃材の行方や再活用などを取材・展示し記憶に残したい杉並の過去の魅力を知っていただきたく開催するものです。開催に際し解説をお引き受けいただきました三浦展氏、貴重な写真を多数ご提供いただきました大地丙太郎氏、思い出のエッセイ、写真、イラストをお寄せいただきました皆様に深く感謝申し上げます。
2022年7月
概要
阿佐ヶ谷住宅は、1958(昭和33)年、日本住宅公団が分譲した集合住宅である。所在地は、善福寺川に近い成宗(現在の成田東)、敷地面積約53,000㎡に総戸数350戸が建てられた。
建物は、テラスハウス(勾配屋根、陸屋根)、中層棟(3階建て、4階建て)からなり、ほかに管理組合事務所・集会所、児童公園、広場、給水塔、駐車場があった。
設計統括は、日本住宅公団の津端修一。テラスハウスは、勾配屋根のTA/TB型を前川國男建築事務所の大高正人、陸屋根のTC型を日本住宅公団の本所設計課が設計した。植栽の設計は、日本住宅公団の田畑貞寿である。
開発当時の建ぺい率が40%だったこともあり、緩やかな蛇行を描く道沿いにゆったり配置された住戸や、コモン(オープンスペース)とテラスハウス各戸の専用庭が時と共に一体化していったような豊かな植栽が、都心とは思えない住空間を生み出していた。
2013(平成25)年3月、老朽化による再開発計画の長い討議の末に解体開始。2016(平成28)年にプラウドシティ阿佐ヶ谷として生まれ変わった。
多くの人を惹きつけた特徴的な設計は、公団が戸数主義へ移行する前の、津端修一曰く「公団ぐるみで理想に燃えていた」時期であったからこそ実現できた。その意味で、阿佐ヶ谷住宅は単なる団地の1つではなく、二度と登場しえない唯一無二の存在であった。
制作スタッフ
制作ディレクション:NPO法人チューニング・フォー・ザ・フューチャー(TFF)
CGディレクション・デザイン:高橋政輝
取材・執筆:立岡涼
協力:tezuka-factory(記録写真・建具廃材)
宮地淑江(建具メンテナンス)
情報提供:UR都市機構 集合住宅歴史館