川俣恭子さん
「子育ての聖地 阿佐ヶ谷住宅」
阿佐ヶ谷住宅に入居したのは、忘れもしない1993(平成5)年7月25日だった。それまで夫の仕事の関係でハワイに住んでいたのだが、帰国時にあてがわれた社宅が阿佐ヶ谷住宅40号棟6号室だった。
2年ぶりに帰国すると日本は異常に寒い夏だった。会社から送られてきた住所と不鮮明な間取図だけを頼りにJR阿佐ヶ谷駅からタクシーで阿佐ヶ谷住宅を目指したのだが、そこは「これは廃墟か?」と思うような古色蒼然とした建物の集まりだった。
やっと40号棟を探し出して部屋に入ると、狭いリビングに後から増築したと思われる更に狭い板の間は明らかに床が傾いていた。しかも短い廊下には夥しい数のダンゴムシの遺骸が…。 衝撃的な第一印象だったが結局そこに10年間住み続け、二人の娘たちにとっては生まれ故郷となった。
我が家の棟の目の前には幼児が遊ぶのに程よい広さの公園があり、近所の同年代の母子たちとは雨さえ降らなければその公園で毎日、夕方の「夕やけこやけ」のメロディが流れるまで遊んだ。
その後我が家は2003年に転居してしまったが、その公園仲間のママ友さんたちは言わば子育ての同志であったし、子どもたちが成人した今でも付き合いの続く、今となってはママ友ではなく大切な「友達」である。そんな私たちの合言葉は、「子育て期間が阿佐ヶ谷住宅でよかったね!」である。