大羽杏子さん
「俳句で綴る阿佐ヶ谷住宅」
1993年から住んだ阿佐ヶ谷住宅40号棟6号室での10年間は、私の趣味である俳句作りの日々でもあった。
新しき住い蚊がをり蝿がをり
杉並区という都心近接の土地にありながら、阿佐ヶ谷住宅には様々な動物がいた。蝉、蜻蛉、蚯蚓、猫、家の中にも蛞蝓、鼠、あろうことか私が最も忌み嫌う頭にへがつくものまでいたことがある。
落葉踏んで分別ごみを出してきし
植物も豊富だった。桜、紅葉、杉、杏、紫陽花、カンナ…。秋ともなると色づいた落葉が綺麗だった。
台風一過の日差しを集めすべり台
ぶらんこを漕ぐそれだけの幸せも
小春日や吾子に友だちまたひとり
をさな子の汗のかたちに砂つけて
96年に長女、98年に次女が生まれると、当然ながら生活は子育て中心になった。我が家の目の前にある小さな公園で、近所の子どもたちと一日中遊ぶ毎日だった。
母たちに緑蔭会議ありにけり
それは同時に、私たち母親軍の貴重な情報交換、ストレス解消の時間でもあった。
おしろいやこの家で子らは育ちたれど
2003年我が家は諸事情で転居することになった。阿佐ヶ谷住宅の再開発の話も進んでいた。私が生まれた1958年に作られたという阿佐ヶ谷住宅。十分に役目を果たしたと思う。