パブリックとは何かを考えさせる〜阿佐ヶ谷住宅の奇跡
三浦 展
20年以上前、阿佐ヶ谷住宅を初めて訪れたとき、不思議な気持ちになった。ここはいったいなんなんだろう? それまで見たことがないような団地だったのだ。
団地といえば、ある意味で非人間的な住まい、均質で画一的な住居の代名詞のようなところだが、この阿佐ヶ谷団地は何ともほんわかしたムードで、心が安らぐ。初めて行ったときは初秋の午後3時くらいだったと思うが、赤とんぼがたくさん飛んでいて、緑の芝生もまぶしく、散歩に来てぼんやりするには絶好の場所だった。思わず「ここは極楽だな」という言葉が浮かんだ。
阿佐ヶ谷住宅はれっきとした日本住宅公団の団地だ。善福寺川沿いの田んぼと葦の生えた沼を開発したもので、昭和三十三年に建てられた。テラスハウスの設計は前川國男設計事務所、その他を合わせて総戸数350戸。賃貸ではなく分譲である。
普通のいかにも団地らしい四角い集合住宅が数棟あるが、なんといってもこの団地の中心は174戸のテラスハウスだ。玄関方向から見ると一階建てに見えるが、庭方向から見ると二階建てのデザイン。外壁は白く、屋根は赤く塗られていて、かわいらしい。永年の月日で、色は褪せ、ペンキが剥げ落ちているところが多い。だが、それが逆にいい感じになっている。かわいいのに味があるのだ。
各戸の前には小さいが庭があり、どの庭にもいろいろな植木や花が植えられている。しかし、きれいすぎるほどの手入れはされておらず、自然にまかせて伸び放題になっているあたりがまた気持ちいい。ウォーターフロントの超高層マンションに住む知人に聞いた話では、エントランスには花壇があり、いつも花が咲いているという。けっこうな話に聞こえるが、実はそうではない。いつも満開の花が植えられていて、つぼみの状態や枯れた状態がないのだそうだ。花がしぼみそうになると、管理会社が昼間にやってきて次の満開の花に植え替えるのだ。だから朝会社に出かけるときに咲いていた花が、夜にはまるで違う花に替わっている。冬だから寒椿だとか、春だから沈丁花だとかいった季節感はまるでない。まったく人工的に管理された花壇なのだ。そんな花を見て、果たして人は癒されるのだろうか?
阿佐ヶ谷団地の気持ちよさは、そうした人工的な空間とは対極の、自然でのびのびとしたものだ。それはたしかに時間の流れが作ったものだろう。しかし、それだけであろうか。私にはもう一つ重要な要素があると思った。
それは「公」と「私」の境目が曖昧だということだ。どの木がどの家のもので、どの花がどの家のものか判然としない。また、小道がたくさんがあるが、これも私道なのか公道なのかわからない。小道に面して各戸の玄関ドアがあり、玄関の反対が庭になっている。つまり、住民は自分の家に出入りするとき、必ず隣の家の庭の前を歩くことになるわけだ。だから各戸にとって庭の緑は目隠しの意味を持つが、それはすだれかのれんのような曖昧な目隠しであり、ブロック塀のように俺の家を覗くんじゃないぞという排他的な雰囲気はまったくない。庭の草木は各戸の物でありつつ、同時に共有物なのである。
さらに阿佐ヶ谷団地では、大きな中庭(コモン)が重要な役割を果たしている。コモンにある果樹も、各戸の庭で生い茂る草木も、どっちが私物なのか、よくわからない。コモンという共有空間と自分の庭という私空間の境界すら曖昧なのだ。もしかすると庭から種子が飛んでいったのではと思われる草花も中庭に咲いているし、善福寺川公園から飛んできた鳥の糞に混じった種から生えた草木もそこここに育っている。まったくどこからどこまでが誰のものなのかわからなくなっているのだ。
建築評論家の植田実も次のように言っている。「ここには境界と呼べるものがない。広場や通区内などと決められた区画が、判然と仕切られていない。この団地のなかを歩いているうちに、ほかの住宅団地とはまるで違う自由な気分がみなぎってくるのは、図面で計画された場がほとんど消えているからだ。
もちろん、このように公私の境界が曖昧になったのは長い時間のなせる業だともいえる。しかし古い団地や住宅地が全てこのようになっているわけではない。むしろ何十年たっても「公」と「私」の境界が明確な住宅地のほうが多いだろう。多摩ニュータウンだって入居開始から50年以上たつのに、公私が曖昧になるなんてことはない。田園都市線の住宅地などはどこもかしこも「私」同士が自己主張し合い、なわばり争いをしているかのように感じられる。
それでは、なぜ阿佐ヶ谷団地では境界が曖昧になったのか。そこにはこの団地の計画段階から理念があったのだ。東京理科大学の初見学は阿佐ヶ谷団地を調査し、雑誌『住宅建築』(一九九六年四月号)にその結果を書いている。そこには阿佐ヶ谷団地を計画した津端修一へのインタビューがあるが、その内容は実に興味深いものだ。
「阿佐ヶ谷のテーマは、コモンでしたね、やはり。日本のまちというのは、人が通る街路と個人で構成されていて、公共空間としては公園がありますが、管理は自治体が行いますから・・・「コモン」という概念は日本の住宅地のなかにはなかったといえるでしょう。だから、個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、得体の知れない緑地のようなものを市民たちがどのようなかたちで団地の中に共有することになるのか、それがテーマだったんです。(中略)いわゆる都市計画上の公園とは異なった、「市民たちの庭」と考えていたわけです。それが、どのように住民によって管理されるか、スペース全体を市民たちが自分の財産としてどう使いこなすことができるのか、それが大事だと」
ここで津端が「得体の知れない緑地」と言っているのが面白い。すがすがしい緑地でも、さわやかな緑地でもなく、得体の知れない緑地とは、まさに阿佐ヶ谷団地の持つ不思議な魅力を表現している。
その得体の知れなさは、おそらく人間の生活、人生の不如意さと相通ずるのであって、ここに住んできた人々とともに成長してきた緑だからこそ、この緑は不格好で、いいかげんで、自由なのだ。だから私はここに見せかけだけの「人工的な自然」ではなく本当の意味で「人間的な自然を感じるのである。計画的、人工的でありながら、自然であるという場所を実現した阿佐ヶ谷住宅はまさに「奇跡の団地」だと私は思った。
そこでその魅力をきちんと分析しようと思い、私だけの力では不足なので東大教授の大月敏雄氏(当時は東京理科大学准教授)に相談し、彼の研究仲間と学生が阿佐ヶ谷住宅を研究することになった。その成果をまとめた本が『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』である。
またこの20年ほどの間に、建築や都市計画、まちづくりなどの若い研究者や学生たちが、「公と私」の問題をよく考えるようになった。パブリックとは役所のことではなくて、プライベートとプライベートが集まって、みんなでみんなのことを考えることこそがパブリックであるという認識が広がった。そういう時代を何十年も先取りしたのが阿佐ヶ谷住宅ではなかったかと思う。
写真提供:三浦展氏
三浦展 略歴
1958年新潟県生まれ。社会デザイン研究者。82年一橋大学社会学部卒業。(株)パルコ入社。マーケティング情報誌『アクロス』編集室勤務。86年同誌編集長。90年三菱総合研究所入社。99年 カルチャースタディーズ研究所設立。消費社会、家族、若者、階層、都市,郊外などの研究を踏まえ、新しい時代を予測し、社会デザインを提案している。
著書に『奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅』のほか、主著として『第四の消費』『ファスト風土化する日本』『「家族」と「幸福」の戦後史』。都市関係では『都心集中の真実』『東京は郊外から消えていく!』『昭和の郊外』『スカイツリー東京下町散歩』『中央線がなかったら』『吉祥寺スタイル』『高円寺 東京新女子街』『東京高級住宅地探訪』『東京田園モダン』『昭和「娯楽の殿堂」の時代』『娯楽する郊外』など。